【とこぽへんしゅう部がおとどけする「とこポスト」 キッズばん】今年は、せん後80年のふし目。クイズでたどる「とちぎのせんそういせき」

今年れい和7年は、「第二次世界大せん」という大きなせんそうの終わりから、ちょうど80年にあたる、ふし目の年です。
そして、みんなが住んでいるとちぎにも、あのせんそうを今につたえるいせきがのこっています。
ふだんはなかなか気づかないし、みんなにとっては、きっとおじいちゃんやおばあちゃんが生まれる前の話で、ピンと来ないかもしれません。でも、このきかいにクイズをとおしてふりかえることで、これからの平和なとちぎをつくるきっかけにしてください。
第1問

さいしょにしょうかいするのは、「あさひ町の大イチョウ」。
昭和20年7月12日に、とちぎ県の県ちょう所ざい地、うつのみや市は大きな空しゅうをうけたんだ。100きい上もの、ばくだんを落とすアメリカのひ行き(B-29)がとんできて、うつのみやのまちの中に、たくさんのばくだんを落としたんだよ。そのせいで、うつのみやのまち中の半分はやけ野原になって、多くの人がなくなったんだ。
そんな中、空しゅうで大きなひがいを受けた場所にあった、大きなイチョウの木、「あさひ町の大イチョウ」は、その後人々にきぼうをあたえたんだよ。さて、それはなぜでしょう?
(A)空しゅうでも、きせきてきに木のまわりはもえなかったから
(B)空しゅうで黒こげになったけど、次の年にはめが出たから
(C)空しゅうでもえてしまったけど、そのタネから新しく木が生えたから
答えは…
「(B)空しゅうで黒こげになったけど、次の年にはめが出たから」です。
この「あさひ町の大イチョウ」は、じゅれい400年と言われていて、えど時代にうつのみやじょうがあったころからずっと生えているんだよ。
はっぱがもえて、真っ黒になってしまったけど、せんそうが終わった次の年にはまためが出て、せんそうで心にきずを負った人々をゆう気づけたんだ。今でも元気に葉をしげらせていて、秋には黄色く色づいたすがたを見せているよ。大切にしたいよね。
●ここにあるよ
旭町の大イチョウ
宇都宮市中央1-9-8
https://utsunomiya-8story.jp/search_post/旭町の大いちょう
第2問

つぎにしょうかいするのは、「あさひ町の大イチョウ」と同じく、昭和20年7月12日のうつのみや空しゅうにかかわるいせきだよ。
うつのみやのまち中に立っている一本の石の柱で、知らないと、もし見かけても何とも思わずに通りすぎてしまうかもしれないね。
でも、この柱は、空しゅうの前にたっていた病院にあった門柱で、病院はすっかり空しゅうでやけてなくなってしまったのだけど、門柱だけがやけのこって、せんそうのひさんさをつたえるために、今もだいじにのこされているんだ。
さて、このうつのみや空しゅうですが、どんな目てきのために行われたと考えられているでしょうか?
(A)ぐんのひ行場をこうげきするため
(B)ぶきなどの工場をこうげきするため
(C)ぶきなどの工場ではたらく人たちのやる気をなくすため
答えは…
「(C)ぶきなどの工場ではたらく人たちのやる気をなくすため」です。
うつのみやは、そのころ、ひ行場やぶきなどの工場がたくさんあるまちで、「軍都(ぐんと)」とよばれていたくらいだったんだ。
だから、何度も空しゅうのひがいにはあっていたんだけど、うつのみや空しゅうは、ひ行場や工場ではなく、人がたくさん住んでいる市がい地をねらったもので、その目てきは、ぶきなどの工場ではたらく人たちに、仕事をがんばる気持ちをなくさせることだった、と言われているよ。
●ここにあるよ
枝病院門柱戦災記念碑
宇都宮市中央1-1-15
第3問

3ばんめにしょうかいするのは、こちらも昭和20年7月12日のうつのみや空しゅうにかんけいした場所だよ。
カトリックまつがみね教会は、とちぎ県でとれる石である大谷石を使い、昭和7年にできたたて物。スイス人のマックス・ヒンデルという人がせっ計したんだよ。でも、うつのみや空しゅうで屋根がもえて、なくなってしまったんだ。
大谷石でできたかべはもえることはなく、今でもぶ事にたっているけど、そのかべにはほのおで黒くやけこげたあとがのこったままになっているよ。そして、屋根も、その後新しくつくり直されたんだ。
さて、このうつのみや空しゅうは、たくさんのばくだんが落とされたんだけど、そのばくだんはどれくらいの数だったでしょうか?
(A)そのころ、うつのみや市に住んでいた人の数と同じくらい
(B)そのころ、うつのみや市にたっていた家の数と同じくらい
(C)そのころ、うつのみや市にあった学校の数と同じくらい
答えは…
「(A)そのころ、うつのみやに住んでいた人の数と同じくらい」です。
うつのみや空しゅうがあったころ、うつのみや市に住んでいた人は、9万人くらいだったんだけど、落とされたばくだんの数もおよそ9万こ。住んでいる人1人に対して1こ、というものすごい数のばくだんが落とされたことになるんだね。
●ここにあるよ
カトリック松が峰教会
宇都宮市松が峰1-1-5
https://utsunomiya-8story.jp/search_post/カトリック松が峰教会/
第4問

公益社団法人 土木学会 提供
4ばんめにしょうかいするのは、大田原市の「金丸原ひ行場」があったところ。ここには、昭和20年にせんそうが終わるまで、りくぐんのひ行場があって、ひ行きに乗るくん練が行われていたんだ。
といっても、今はもう、かっ走路やたて物など、ひ行場のあとはほとんどのこっていないんだよ。
そんなひ行場のなごりを今につたえるのが、「えん体ごう」。コンクリートでつくられていて、大きなアーチがたをしているけんぞう物だよ。コンクリートの上には土がもられていて、木も生えているから、まるで山みたいに見えるかもしれないね。
さて、この「えん体ごう」、何のためにつくられたでしょうか?
(A)ひ行きをてきのこうげきから守るため
(B)雨の日もくん練をするため
(C)大事な書るいを安全に守るため
答えは…
「(A)ひ行きをてきのこうげきから守るため」です。
「えん体ごう」は、ひ行きをてきのこうげきから守るためのかくのう庫。形がアーチがたなのも、こわれにくくするためのくふうで、この「えん体ごう」には、ひ行きが3きかくのうできたんだって。
●ここにあるよ
旧金丸原飛行場掩体壕
大田原市南金丸
https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/730
※ゴルフ場の敷地内にあり、立ち入りには許可が必要です。
第5問

5ばんめにしょうかいするのは、足かが市にある、フィルム染色の工場。大正時代にレンガをつんでつくられた建物で、6つならんだギザギザのノコギリみたいな屋根も見られるよ。
この工場だけど、赤レンガのかべに、黒いもようがかかれていて、今でも外から見ることができるんだ。このもようは、第二次世界大せんが終わる直前にかかれたものなんだけど、さてこれは一体何でしょうか?
(A)火事になっても、もえないためのペンキ
(B)せんそうに反対していることを表す目じるし
(C)空しゅうをさけるためのカモフラージュ
答えは…
「(C)空しゅうをさけるためのカモフラージュ」です。
黒いもようは、空しゅうで敵のひ行きからばくだんを落とされるのをさけるための、めいさいがらだったんだって。
●ここにあるよ
トチセン(旧足利織物)赤レンガ捺染工場・赤レンガサラン工場
栃木県足利市福居町
https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/education/000029/000169/000627/p000942.html
※通常非公開です。
第6問

さいごにしょうかいするのは、時代がさかのぼって、めいじ時代にたてられたたて物だよ。
うつのみや中央女子高校赤レンガそう庫は、めいじ40年にりくぐん第14しだんのしせつとして、たてられたんだ。まちをもり上げるため、うつのみやの人たちはみんなで力を合わせてりくぐんの人たちをよぼうと考え、その運動が実って、りくぐん第14しだんがうつのみやに来ることになったんだね
この赤レンガそう庫は、そのときにレンガをつんでつくられたんだよ。
さて、赤レンガそう庫、もともとは何のために使われていたでしょう?
(A)体育館
(B)食どう
(C)図書館
答えは…
「(B)食どう」です。
といっても、ただごはんを食べるところじゃなくて、りょう理をするところもあれば、おふろもあるしせつとして、たてられたんだって。いろんな役目があったんだね。
その後、赤レンガそう庫は、理科実けん室になったり、その名の通りそう庫になったり、いろんな使われ方をしたんだけど、今では高校の多目てきホールとして使われているよ。
●ここにあるよ
宇都宮中央女子高校赤レンガ倉庫(旧第六十六歩兵連隊倉庫)
宇都宮市若草2-101-18
https://utsunomiya-8story.jp/search_post/宇都宮中央女子高校赤レンガ倉庫(旧第六十六歩
※令和4年度より「宇都宮中央女子高校」は「宇都宮中央高校」になりました。
企画展 とちぎ戦後80年(きかくてん とちぎせんご80ねん)
どうだった?クイズにはいくつ正かいできたかな?
みんなの住んでいるところの近くにも、せんそうにまつわるいせきがあるかもしれないね。もし気になったら、見学してみたり、せんそうを体けんした人の話を聞いて、せんそうや平和について考えてみよう。
また、この夏は、とちぎ県うつのみや市にあるとちぎ県立はく物館でも、せん後80年にちなんだ、き画てんが開かれているよ。ぜひ足を運んで、学んでみてね!
●ここにあるよ
栃木県立博物館
宇都宮市睦町2-2
企画展
とちぎ戦後80年 ~いま、おやと子で知る 軍隊・戦争と栃木~
開催期間:2025年7月12日(土曜日)~2025年8月31日(日曜日)
http://www.muse.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/plan.html
(この記事はR7.7.4現在の情報です)
参考文献
栃木県教育委員会ウェブサイト「とちぎふるさと学習」宇都宮空襲
https://www.tochigi-edu.ed.jp/furusato/detail.jsp?p=58
総務省ウェブサイト「一般戦災死没者の追悼」宇都宮市における戦災の状況(栃木県)https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_26.html
宇都宮市歴史文化資源活用推進協議会ウェブサイト
「宇都宮の歴史と文化財」二度の戦災を たくましく生き抜いたまち うつのみや
https://utsunomiya-8story.jp/story/story7/
宇都宮市平和のつどい実行委員会 パンフレット(令和3年7月発行)https://www.city.utsunomiya.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/024/963/0819heiwa.pdf
宇都宮市ウェブサイト「宮っこキッズページ」大銀杏https://www.city.utsunomiya.lg.jp/kids/nazenani/1008386.html
朝日新聞 (2023年1月3日付)新年連載「栃木県150年」軍都の盛衰見た料理店
https://www.asahi.com/articles/ASR126TBWQDFUTNB006.html
宇都宮商工会議所会報「天地人」(2019年5月号)ふるさと歴史民族散歩第30回「軍都の面影を残す宇都宮中央女子高赤レンガ倉庫」
https://www.u-tenchijin.com/wp-content/uploads/2021/03/201905_02.pdf
産経新聞 (2015年8月10日付)陸軍金丸原飛行場(大田原市)
https://www.sankei.com/article/20150810-JGL7VC4BIZI5FJHPPHPPKCWEBY/
下野新聞(2025年2月3日付)【遺構は語る】掩体壕(大田原)(2)
https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/1048035